郷土館の見どころ
堀織部正利熙筆の「熊野」の扁額
函館奉行の堀織部正利熙が染筆し、熊野神社の奉納された「熊野」の扁額です。
保津船
昭和15年、当時の島野村(昭和30年岩内町と合併)の船大工野五郎治によって建造され、昭和26年まで実際に鰊漁で使用していたニシン枠船。
長さ10.1m。幅2.1m。
郷土館の駐車場に展示しています。
映像コーナー
岩内の海運会社社長がフランス製9.5ミリフィルム(現物展示)で撮影したもの。
●昭和初期(昭和4年から9年当時)の岩内・札幌風景
●岩内から札幌までの国鉄沿線風景
●大変珍しいものとしては、昭和4年に小樽港外に集結した日本帝国海軍連合艦隊の軍艦群、
戦艦陸奥・空母赤城・巡洋艦日向他、この映像は他では見られません!
産業・経済
ニシン漁関係資料
前庭には昭和26年まで実際に使用されていた漁船(保津船)を展示
ニシン建網漁の様子を精巧な模型
ニシン漁関係漁具ニシン粕製造器具まで一式
ニシン場の親方が使用していた調度品
特に素晴らしいものは絹地に総刺繍を施した屏風 江戸時代後期のものと推定。
日本で最古の鉄製レール
1869(明治2)年、茅沼炭鉱で使用 牛に引かせたトロッコが走っていました。
日本最初・北海道最初物語
北海道最古の炭鉱
1856(安政3)年発見 「茅沼炭鉱」関係資料
国産最古のリードオルガン
1905(明治38)年 西川オルガン(横浜)制作 自由に演奏できます 100年前のオルガンを弾いてみませんか。
日本のアスパラガス発祥の地関係資料
アスパラガスは岩内の下田喜久三博士によって1922(大正11)年岩内郊外で栽培に成功。ついで1924(大正13)年に日本アスパラガス株式会社を創立、缶詰を欧米に輸出します。
日本最初の自費による港築港事業関係資料
1907(明治40)年、岩内町は町債などを発行して現在の金額で約140億円を投入して築港事業を開始します。今年は、その第一工事完成100年になり、特別展を開催しています。9月26日(日)まで。
北海道最初の水力発電関係資料
1906(明治39)年 北海道で初めて水力発電が岩内で開始されました。水力発電機の模型展示も行っています。
北海道で2番目の馬車鉄道関係資料
1905(明治38)年 函館に次いで2番目の馬車鉄道が市街を巡って、現在の函館本線小沢駅まで通っていました。
サッポロビール誕生の源となった 野生ホップ発見 関係資料
開拓使のお雇い外国人(茅沼炭鉱の開発指導)トーマス・アンチセルが、1871(明治4)年、岩内町郊外で野生ホップを発見します。これが現在のサッポロビールに繋がっています。
行政・教育
岩内郡役所関係資料や学校関係(私学校含む)資料
町内にはこの当時の郡長(現在の岩内町・共和町・泊村・神恵内村の4つの町村を 束ねる。江戸時代でいえば代官か小大名)が1906(明治39)年に建てた北海道有 名建造物が現存してます。非公開ですが、外から見ることはできます。郷土館では 模型を展示しています。
文化・文芸
北海道有形文化財の縄文土器
岩内町で出土した、縄文時代の土器を展示しています。
夏目漱石の戸籍謄本
文豪夏目漱石は22年間岩内に戸籍を置きます。その戸籍を置いた住居跡に石碑が立っています。
有島武郎と「生まれ出づる悩み」のモデル、孤高の画家木田金次郎関係資料
有馬武郎は1922(大正12)年に岩内を訪れます。その後、有島に心酔する青年たちによって『白水会(有島の個人雑誌「泉」を上下半分に分けた)』が結成された。この会が岩内の近代文化の基礎を築きます。この関係資料も展示。
長田幹彦の遺品・原稿
ご当地ソングの始まりの「岩内音頭」は、1934(昭和9)年、長田幹彦が作詞し中山晋平が作曲したものです。長田は1914(大正3)年に岩内を訪れていて、岩内を舞台にした小説を何篇か書いています。
「飢餓海峡」と水上勉関係資料
名作「飢餓海峡」は1961(昭和36)年、作者である水上勉が来町したことによって誕生しました。1963(昭和38)年には映画の撮影が岩内町で行なわれ、そのときの資料も展示しています。
泉天郎関係資料
岩内の俳句の歴史は古く江戸時代にさかのぼります。泉天郎は岩内が生んだ俳人で戦前の俳壇では名を知られた人です。
また、「坂の上の雲」に出てくる正岡子規の高弟、河東碧梧桐に師事します。それで、碧梧桐は1927(昭和2)年に岩内を訪れています。当時、北海道における同人は泉天郎を入れて全部で3人。全て岩内に住んでいました。
「飢餓海峡」の誕生のきっかけになった岩内大火資料
1954(昭和29)年9月26日、午後8時20分出火。焼失家屋
3,300戸、死者35名、行方不明3名の大惨事は、同日発生した青函連絡船「洞爺丸」沈没事故の陰に隠れて、あまり知られてはいません。
そのほかの見どころ
○隠れキリシタンのマリア観音像ではないかと言われる「子育て地蔵尊」。
○昭和20年7月15日に北海道各地が空襲を受けますが、その時、隣村島野村沖であった、
日本の武装油槽船と米戦闘機グラマンとの戦闘の際の、銃弾や薬きょうの破片。
○負傷兵を収容された協会病院の記録。
○明治から昭和にかけて岩内で発行された多くの地方新聞。
○岩内町出身の中国大陸の兵士に送られた「郷土だより」。
○岩内教育会が発行した機関紙など、北海道では珍しいバラエティに富んだ展示物があります。